カテゴリ:癒しへの導き( 58 )

二種類の怒り

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怒りには 二種類あります

意識的か
無意識的か が区別するポイントです

普通の人は無意識的に怒ります
マナスにある感情に流され
理性を見失い
エゴを用い
自分のエゴ、わがままな欲望の満足の為に怒ります
そして何を言葉にしたか覚えておらず
どうして怒ったか理由も定かではありません
そのように無意識的です
いつも無意識で無目的な意識の方は
怒る時も当然、無意識です
この怒りは
自分の内面にいる六人の敵の一人、クローダーと呼ばれます


ぬくぬくした、単に楽しい安楽な時間が良いと考える方は、実は理性が重たい無知のエネルギーにカバーされた状態です

感覚的な喜びを平安な時間だと思い込むと、決して真理を見極められません

実はそれは無意識的な怒り以上に低い意識の状態なのです


では、★意識的な怒り とは
チッタ=記憶 の領域と 理性=ブッデイが結びついて、
完全にアートマンと繋がった意識によりつかわれる怒りのことです

この怒りは サンスクリット語でマンニュといいます

普通、怒らない人が立派な方、という価値観がありますが
聖者でも、よく怒る方がいます
それがマンニュです

マンニュの怒りは エゴを満足させるためには 決して使われません
すべて相手の為です

マンニュは
真理と真理ではないものの区別が出来ない人
エゴを満足させたい人
目的がヤジナではない人には使えません

マンニュの怒りは 真理と真実の愛に基づき
良くないカルマを取り去ることが目的であり、アートマンの意識をもって怒ります
意識的な怒り
それがマンニュです

人を叱らねばならぬ時はいつも
マンニュであるべきでしょう

けれど なかなか 難しい……だから 人に怒りのパワーや厳しさを提示しなければならない時は
相手に対し真実の愛があるかどうか
それは非常に重要な基準であり課題です

チッタ=記憶の働きは実際は純粋な働きであり、チッタ独りで良くないことはできません

何か良くない行動は 感情とエゴの中の良くない働きが
理性を凌駕し煙りにまいて、起きてしまいます


マンニュの純粋な怒りのパワーを使うには
感情やエゴ、肉体的感覚を満足させるエネルギーに縛られないことです

好き嫌いや善悪など相対的価値観に動かされる目的を持たないことです

そしてまた
マンニュは
社会的規範を超えた領域にあり
クローダーの怒りの理由とは違う目的があります

マンニュの目的は無知をはらい、気づきを促す為のものです

だから一見して
厳しさの本質が見抜けない方からみたら、単にうるさくきついだけ、という印象を与える場合がよくあります

マンニュとは
通常、モクシャ=悟りを開いた方のみが使える力ですが

良き友情を築いているもの同士は、お互いに厳しく接するマンニュの場面もあります

また
親が子供を思い 叱ることも マンニュといわれます

母は子供を叱りつけ子供を傷つけます
けれど 真実の母は
実は子供以上に傷つきます
それでも子供の為に叱ります


人間は悟らない限りエゴは残ります
けれど怒らないとならない場面の中で
また、自分が厳しく叱られる場面の中で、相手や自分の怒りの目的がどこにあるかを見極めることです

マンニュは
叱る人の目的を見極められる相手 と 状況の中でつかわれるべきでしょう

それが 整わない場面では たとえマンニュとはいえ
怒りのネガティブなエネルギーは 使わないのが 聖者の在り方です

それは つまり
相手のエネルギーの質 状態を見極め
必要なだけのエネルギーを使う ということです

聖者とは エネルギーを使うことの達人です

マンニュを知ることで
真実のヒーリングとは気づきから生まれる以上 。。優しく 暖かいだけが ヒーリングエネルギーではない とわかります☆

いつも 怒っているような人 厳しい人が…… 実は 凄く 愛と 思いやりがある
という人が 時々 身近にいますね♪


私のインド哲学の先生も 厳しいです
インド人の生徒はかなり厳しい指摘を受けてます

私も 意識的に マンニュに基づいたネガティブな指摘を受け叱られたことがあります
目に余る私の良くない癖を治して気づかせてあげたい
という先生の暖かい気持ちですね… 有り難いことです!!!

意識的=アートマンとつながって 生きる努力をしてる方の前では 自分の意識レベルは 恥ずかしいほど簡単に 見破られます
そこで厳しく注意を受けるのは 有り難いことです☆


真実はいつも自分がつかみ取るものです

それが本当にわかると
如何なる相手の厳しさや理不尽な怒りの中にも
自分に必要な神の愛を見つけ学ぶことができます

それは すべからく 自分のエゴとくだらないプライドに気づかせ 壊す手助けをしてくれますね☆


自分の行為に正当性を考え、プライドを持ったりすると エゴが増長します

どんなに素晴らしい行いや 結果にも

自分の中の神の働きが行ったものであり、小さな名前ある肉体の私は何もしてないと考え

感謝と謙虚な気持ちがあると
自分の行いは素晴らしいと考えるプライドやエゴは育ちません

エゴは 本当に 自分の内面の成長を妨げます☆

エゴを壊してくれる機会は 毎日 沢山あるでしょう


それを 意識的に自らすすんで行うのがカルマヨーガと
真理のセオリーの学び と 瞑想ですね☆


写真:ガルーダに乗ったクリシュナ

インドネシアのエアライン
ガルーダ・インドネシア航空は
この聖なる鳥を飛行機にイメージしてます
私たちお客様はクリシュナ、というわけです

ガルーダの羽根はヴェーダの本をひらいた形といわれます

ヴェーダ=神の言葉=真理に乗り
私たちは遠くまで飛んでゆける
という意味ですね☆
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by veda-anand | 2008-06-05 16:34 | 癒しへの導き

身口意を正すこと‥マハーバーラタ

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シャリリカ
ヴァーチカ
マナシカ

これは
身口意を通じ行うカルマ=行為を正す
という仏教における行がヴェーダウパニシャッドからきたことをしめす
サンスクリット語です

先日は新月で 勉強会の仲間の家で
サービィトリーのプージャとマハーバーラタを読む勉強会をしました

サービィトリーとは スーリャ=太陽神の娘 です
サービィトリーの名前の語源には 太陽という意味を 含んでおり
太陽はアートマン=真我のシンボルです

インド哲学における第一のマントラ ガーヤトリーマントラは サービィトリー女神に捧げられるもので
マントラ最後の言葉は自分のブッディをアートマンにつなぐ梯子の役目をもっています


サービィトリー
太陽 とは 真理のシンボルであり
私たちの実在 意識 平安 =アートマンのことです

彼女の選んだ夫は 結婚して 一年で死ぬ運命で 死を司る神 ヤマ神(日本における閻魔様)が新月に彼女の夫を迎えにきます
しかし彼女は夫についてゆくのが妻の務めであると
夫の死ぬ3日前より寝ないで修行を行い、ついに、ヤマ神とヤマ神に縛られた、親指大の夫のアートマンについていきます

そしてヤマ神から何度も帰るよううながされますが
サービィトリーは時と場所と状況を識別し
心と言葉と行いによる =
シャリリカ
ヴァーチカ
マナシカ
に基づいた問答を行い、四回に渡り ヤマ神から恩恵を授かります

三回目の時までは
夫の命を除いた恩恵を望むようヤマ神にいわれ
最初、彼女は、亡くなった主人の目の見えない父親の目があき、光りに満ちるようにと、他者の為の恩恵を望み、
ヤマ神から恩恵を得ます

三回目の時 彼女は 100人の息子を授かるよう望み その承諾をえます

そして ついに 四回目に 夫の命を 返してもらう恩恵をうけました

サービィトリーとヤマ神とのやり取りは大変興味深いものですが
意味合いが深いので別の機会にご紹介します


彼女は
常に、身口意を正す シャリリカ
ヴァーチカ
マナシカ
の生き方をしてきたことが問答の全てに現れています


サービィトリーが行じてきた、身口意を正すという修行は 仏教の中にも 同じ教えがありますが
マハーバーラタの中には このような形で残されています


真理とは何か
これを 深く知れば知るほどに
私たちは 自然と 身口意を 正していけます

真理の学びは聖典の中に限らず
本当はどこにでもあります

それをわかり易くナビゲーションしてくれるのがマハーバーラタのような物語です
しかし、隠された哲学的を知らないと、ストーリーを読むだけで 終わってしまい その中に隠された真理をつかみ取れません


サービィトリーは常に 夫といることを望みましたが
それは 自身の行動をアートマンと共に行うということを自分の義務=ダルマにしたというのが本来の意味です

ダルマ=義務に基づいた行為なく
悟りにはいたらない。
最終的には
ダルマを超えてゆかないと悟りにはいたらないのですが
ダルマはその初歩的生き方です


また 彼女には 忍耐を始めとした 多くの美徳があり
それを 守る 日々の 修行した人でもありました


マハーバーラタの登場人物とは
それがどんな悪魔のようなキャラクターであっても、神のようなキャラクターであっても、キャラクターは単なる物語の登場人物ではなく
誰かではなく
それは全て自分自身の内面にある、エネルギー、3つのグナのクオリティを意味しています

グナとは
創造・維持・破壊のエネルギーの質です


マハーバーラタのサービィトリーの美徳とは 私たち自身の美徳の象徴です

それはつまり
私たちが今現在どのような生き方をしていても
身口意を正す、そのキャパシティを内面に備えている
という意味なのです

キャパシティとは本質的な次元から言えばアートマンのことです

キャパシティ=アートマン
それに関する知識=真理を知ることで 内在するキャパシティは真に発揮されます

サービィトリーとは太陽の娘
アートマンとは光
光とは叡知のことです

『私の本質は光です
私とは真理そのものです』

ということを
この物語は伝えています

サービィトリーの
言葉は 真理に基づき 正しい文法と 壊されようの無い音で出来上がっており
それがヤマ神を感動させました

真理を知るにつけ
言葉は次第にクリアになります
人をみて まず判断されるのは その人の言葉の使い方と内容
そして伝わる響きです

言葉=音は この世界をつくるもととなる自分の理性とアートマンを結びつけるものです
非常に重要です

ヴェーダにおいて 真理の言葉を瞑想とするのは その為です

良くない 言葉が頭の中にあると
良くない想い
言葉
行動につながります
シャリリカ
ヴァーチカ
マナシカ
ができません

内面の無知を消し去るのが マハーバーラタのような、こうした聖なる物語からくる気づきです


想い
言葉
行い
これは三位一体です


実在 真理 光 叡知 平安‥‥それが
『真実の私』だと、サービィトリー物語は 伝えています☆
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by veda-anand | 2008-06-05 16:15 | 癒しへの導き

時間とは …?

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時間とは何か?

これを正しく認識することは
悟りへの道をしめす重要なポイントです

★Time is bettween Two event.★

時間とは 始まり と終わりの間 のこと

これが科学的な見地から述べた 時間の定義です

何かの始まりから終わりまで
これが時間の純粋な意味です

ここから分かることは
自分にもたされた
最大の時間とは
誕生から死までのこととなります


生死をどのように観るか
それは 哲学的に言えば
善悪と同じように実に相対的なものです

よって
始まりと終わりの間にある時間とは
相対的なものだと言えます

では相対とは何か
それは不確かな在り方
過去にあるか分からない
目の前にはある
しかし
未来は、あるかどうか分からない
そういうものです


人は生きている間に 時間を得ようとする
いつも 時間をはかり 時間を基準にいきようとし
時間の長い短いに価値を見いだそうとしています

子供の頃、遊ぶ時間は沢山あった
しかし今は遊ぶ時間がない
老後は時間があるかもしれない…

このように時間のとらえ方は不確かなもの、マインドの中だけに働く相対的なものと言えます


今 現在 とは
本来 哲学的な概念であり
普通の人は 今 現在を とらえられません


時間の 有る 無しにとらわれ 時間がない という認識の人には
今という概念を把握することはできません

何故なら彼らの頭の中には
常に過去と未来しかないからです

今とは
時間のない領域をさすのです
No time☆
それが、今、の真実の意味、永遠の本当の意味です



…さて、それでは
時間が人間に作用するのは
人間の3つの体のうち
果たして どの領域でしょうか?

★原因となる体=願望 欲望の塊

★微細な体=エゴ、理性、感情や記憶など

★粗大な体=五大要素… 空 風 火 水 土 でできた 所謂『肉体』


それを判断するのに、次のような例をあげてみます

人間の肉体は時々
痩せたり 太ったり します
赤ちゃんだった自分はいつの間にか 年寄りになる
しかし
肉体そのものは、それらの善悪を何も判断していない

また
人は長生きしたいと願望をいだいても、それが、実現するかわからない

つまり
所謂肉体も、
全ての原因となる願望でできた体も、
『その2つの体の領域は、時間の働いている領域ではない』と言えます


肉体の状況の良し悪しを判断しているのは 常に微細な体の中のマインドの部分です

再び時間とは何かを考えると
自分にもたらされた寿命以上に時間が無いことに気づく

しかしその寿命時間とは 相対的で 物質界に依存したものに過ぎず、相対的な価値観や物質的な価値観に重点をおくと
寿命時間に振り回されます

そのように時間のとらえ方を認識したら時間とは命だと
はっきりわかります。一秒より短いまばたきする時間を大切にできます

全ては、まばたきの積み重ねです

すると、まばたきの持つ偉大さに気づき
、その深さ大きさ長さに驚きます

これは私たちが漠然と感じている、偉大なる自分自身の理性が瞬間に宇宙全てをわかるという悟りのパワーなのです
それほどに理性のキャパシティは大きいのです


全ての生類に対する愛に気づき
理性により真理を学ぶと、
人は輪廻の原因となる欲望願望の体
=コーザルボディにある願望=無知を
これ以上増やさず
悟りに不要な願望欲望は消すことができます

この理解により初めて、『時間の束縛から脱する機会=悟りに通じる道=輪廻しない道』を得ます


悟りに不要な欲望は、常に過去と未来を計りにかけ
自分自身を
不確かな相対的な果実を得ようとする行為に束縛します


このような生き方とは、
お金、時間、パワーなどにいつも自分が不足していると感じ、現世的な執着欲望を達成しよう!それを得よう!
と必死になることです
時間とは命であり
相対的だと気づかないと
人生は全てこれに終始してしまいます

このように気づくことが
時間を正しく認識することに繋がります

時間を知るのは最大の真理の学びの一つです
真理を正しく知ると、
時間の働かない領域にあるからこそ
コーザルボディの願望の塊は燃やせることがわかります

これにより
星で運命づけられた今回のカルマ=宿命さえ変わる部分もあります


人は悟りたいという願望によってのみ
寿命を延ばすこと
運命を変えることができると言えるのです

しかし
長生きしたいという願望が 寿命をのばすわけではないのは いうまでも ありません

普通の人は
時間を得るために
お金とエネルギーを浪費したり
お金を得るために時間とエネルギーを浪費しています



しかし そこで得られる満足とは
全て 相対的なもので 実在ではなく うつろうもの です

この世界で得るものは
魔術師がマジックで何かを物質化させたとしても
家に帰るとき 何も持たずに帰るのと同じです

家 とは 魂の帰る領域 真実の私たちの家です

この世界で得る 城 金銭 それは 全て砂の城なのです


実在の永遠の城
天国の王国は
私たちの内面にすでにあるのです

それが 私たちの家であり
それに気づくのが悟りというものです

天国の王国の財宝とは 全ての生類に向けられた 愛 叡知 慈悲 の全てです


ベジタリアンと 正しいグルの瞑想法と導きなく
人は 独りで完全な悟りに向かうのは 大変困難を伴います


最後に自分のことで恐縮ですが
凡人である私は 勿論 地道に瞑想します
よく誤解を招きますがベジタリアンをし 瞑想をかさね 私の生き方は ますます 楽に 清々しいものに変わってきています♪

真実とは 真理とは、自由な領域です

魂は本来 自由なのですね☆

絵画は 取り組み方 指導者により 瞑想にもなり
内面の意識の向上に役立ちます

描く力とは
即ち観る力だからです
観る力とは洞察、判断、実行を導きます
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by veda-anand | 2008-05-15 17:05 | 癒しへの導き

真のサニヤースァ… サニヤシンとは

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現世的な欲望を全てすて 燃やした人
無執着な人

これがまず 真のサニヤースァ
日本語的発音ならサニヤシンのの定義です

かけらでも期待ある人
それはサニヤシンとはいいません


赤みを帯びた美しい彼のオレンジの衣
あれは 常に湧き上がる欲望を燃やすための修行への熱意=タパスの象徴であり、
肉体次元の自分の葬式をすでにすませたことを意味する

彼は のちに 二度と火を使わない
料理もしない
火を使う祭祀をする者もサニヤシンではない
何故なら祭祀には必ず祈願があるからです

そして
彼が死んだら 遺体は土に埋められるか ガンジス川に流すのだ

もうすでに葬式をすませた彼の遺体は
火葬する必要がない


サニヤシンを名乗る人は 世界中にいるが その意味するところまで 伝えられてない場合が 殆どでしょう


私も かつて あるグルのもとで
自分をサニヤシンだと 思いこんでいたことがあります

瞑想を始めたての、何十年も前のことです

しかし 今 それは違っていたと
ようやくわかります

サニヤシンに対する認識不足は
瞑想による体験に真理のセオリーがないのと同じだ
グルは選ばないと今回悟れない

セオリーなく、悟りの明確な認識にいたるのは非常に…難しい
改めて 真理のセオリーを学ぶ重要性を思う

サニヤシンは悟りへの道の途上にありますが
五戒は最低限のマニュアルとして守っています
巷のサドウ?と違って、勿論、煙りや薬、は禁止


それらを用いて
一瞬 ニルヴァーナ=涅槃=欲望のない境地を垣間見ても………再び 閉じてしまう…観たつもりでも、それは自分のマインドの中の妄想に過ぎない
万が一、ビジョンが本物であってもセオリーがないと日常にフィードバックできないのです

そして
酒タバコ薬以外でも、感覚を喜ばすことに『執着する』のは悟りに向かおうとするクリアーな意識にとって邪魔な存在なのは、いうまでもありません


『今ここ』で五感を楽しませるのに『執着する』のは
肉体次元に意識が縛られたタマシックな人々

『今』に立脚したサトビィックな人々は肉体次元の喜びには執着しない!

しかし人々はセオリーがないと
一見見分けがつかない
大抵は『今ここ』というグルの言葉に騙されてしまう…
騙すグル本人さえ
自分の感覚にまどわされている場合がある…

そして!
物を出したりするような魔術のような力を使うグルは
物質に依存した感覚を使っている
彼は物質に依存したら悟りに至らないというセオリーを
弟子に教えていないのだろう

聖者から発する最高の光とは
あえて色といえば白である

それ以外の色彩は、プリズムを通ってでる、物質界に依存した色彩だ…


悟りとは決して
物質に依存したレベルに執着していては到達できない


私のグル
スプリームマスターチンハイ曰わく
『悟りとは簡単です。しかし それを維持するのが難しい
だから
ベジタリアン
五戒
瞑想は 必要です』

それから
『インドは世界の霊性のダイヤモンドの宝庫である
インド人は世界中の民族の中で最も高貴な存在です』
と話されましたね

インド人、彼らの80%がベジタリアン♪であり
真理のセオリー、ヴェーダ哲学を守ってきたからですね☆




サニヤシンとは
自分を楽しませる
という欲望さえ捨てた人のことです
無論
叶えたいわずかな願望さえない人です


唯一の願望
悟り
を除いて…☆
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by veda-anand | 2008-05-11 09:01 | 癒しへの導き

精神性の高い衣服♪

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普段洋服を着るとき 何を基準にしていますか

着ている洋服は 自分の精神性の現れともいえます

これは自宅にあったシャツに、真理の言葉を描き入れたもの☆

本日の言葉
“ If you love me keep my commandments ”

“私を愛するなら 神の法を守りなさい”

…例えば仏教の五戒 、キリスト教の十戒 という伝えられた真理の法は…★人間の持つ 神の輝かしい資質を完全に引き出すためのマニュアル★
なんですね
本当は(*u_u)


★ベジタリアン
★真理のセオリー
★瞑想


これらが真理に満ちた生活へと 導いてくれます☆


精神性の高い衣服は、どれだけ素朴でも…そんな生活を好む★あなたの魂を包む素晴らしい器になりますね♪
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by veda-anand | 2008-04-19 12:49 | 癒しへの導き

調香♪

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輝きこそが自分
それは 決して 傷つかないのです☆
傷つく自分は 本来の輝く自分の影に過ぎないのです☆


調香のため用意された二十本くらいのエッセンスオイルの瓶

紙のスティックにオイルの名前を書いてオイルを一滴たらしていき
匂いを嗅ぎ‥好きなものを 選びます♪

土曜日は朝から日曜日夕方まで 24時間フル稼働 ‥睡眠の代わりに徹夜瞑想☆瞑想は実際、当然ながら睡眠よりリラクゼーション力があります

そんなコンディションの私が選んだのは フラワーベースのエッセンスが中心だそうで、華やかな香りですね♪ といわれました☆‥そこで、香りを引き締め落ち着かせるのに、苔の香りを最後に入れて 終了☆
自分の好みでオリジナル香油を作って頂きました☆



香り☆太陽と光と水と土に育まれた自然の恵み‥‥植物の花々のブレッシング‥‥☆
何だかお花たちとお喋りをしたみたいで‥豊かな気持ち

私はベジタリアンです
植物の命に 植物の中の神の力に 日々 生かされていること 感じ、覚えていないと‥です☆

花々に感謝し
初めてその植物の祝福を受けられる
とは
ヴェーダの補助学、アーユルヴェーダの教えです☆
香りとは宇宙の神秘、パワーが最も美しい見えない形で現れた存在☆
香りには計り知れない癒やしの力があります☆

その香りには名前をつけました☆

『本来の私とは、決して傷つかない輝き☆
天国よりも上の世界が、本来の私の住処だと思い出しますように‥♪』

“天国を超えた思い出” memories of over heaven ‥‥♪


食事も 音楽も 香りも 観るものも
肌に触れるものも
ヴェーダでは肉体、五感とは
全て 真理とつながるために使う道具であり働きです☆と伝えます☆

瞑想やベジタリアンの日常とは とても静かで豊かな生活で 喜びに満ちています☆
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by veda-anand | 2008-04-14 12:02 | 癒しへの導き

叡知の河 ガンガー

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ガンガー女神、またの名を聖ガンジス河…インド人は人が死ぬと死んだ者の生への執着を絶つために、長男など近親者が、まず顔から火をつけ体を焼いてこの河に流します
だからインドにはお墓がありません
そしてこの聖なる河で沐浴をするのは有名ですね


ガンガー、これは神話によれば世界の維持と智恵の象徴ヴィシュヌ神(クリシュナの別名)の親指から生まれた河ですが
天界からの人間にもたらされる叡知の結晶といえます

インドの神様は
創造主ブラフマンを様々なコンセプトの神様にわけたもので背後には
必ず創造主ブラフマンがいます
だから気づいてない方もいますが
究極的にはどの神を信仰していても
意識はブラフマン=アートマン=本来の私に向けているのです


哲学的にいうと、人間の真実のパワーとは叡知のことです

普通一般の価値観では
財産、美貌、若さ、健康、知性、技術、権力、名誉、などの相対的価値観をパワーだと思っていますが
これらに本質的パワーはありません
何故なら全て移ろうからです


ガンガーを生んだ
世界の維持と遍在と智恵の象徴ヴィシュヌ神は
別名ナーラーヤナ、宇宙の主神とよばれます

☆ナーラーヤナの源となる神話☆
『卵の姿をした宇宙から発生した、主の宇宙体ヴィラートプルシャは、卵から離れたとき、自分が立つ為の足場を求めました
そしてこの目的故に、純粋な意図をもつその存在は、聖なる水を創ったのです。これをナラと言います

最高者(別名ナラ)から発生したがゆえこれらの水はナラと呼ばれました

その御方はナラの上に、神々の時間における千年住まわれたことでナーラーヤナ=ナラに住まう者とよばれるようになりました

星雲社ヴァーガヴァタプラーナ上巻179頁』


ヴィシュヌ=ナーラーヤナ神の親指からガンガー女神となり天界から河となって生まれ、シヴァ神が頭頂で受け止め
シヴァ神の髪の毛となりました
それで学問を修める者はシヴァ神を崇めます

頭頂はチャクラの一番上、サハスラーラチャクラをさし
千枚の花びらをもつ智恵の蓮の花に例えられ、瞑想である段階に達すると、人によっては蓮の花をみるといわれています

哲学的意味においてサラスヴァティ女神はあらゆる知識全般(芸術、科学、物理、建築、経済、言語etc)をさしますが、ガンガー女神は叡知をさします

叡知とは人智を超えた天界から授かるもので、相対的頭脳を超えたもの、瞑想により真我であるアートマンと一つになるときおりてくるものです

言い換えれば移ろうことなき実在、普遍的真理のことで
サラスヴァティの意味する所謂、学問知識全般とは完全に次元が異なります
ただ叡知をさずかることで学問がやりやすくなるのです

ヴェーダによれば
『本来の私』とは
真理
実在
意識
遍在
平安のことであり

理性や心や知性やエゴなどのマインドではなく、
知識でも
思い出でもなく
勿論名前でもなく肉体ではなく、五大構成要素でもなく
働きでもなく五感でもなく
喜びでもなく悲しみや苦しみの体験者でもなく
国籍や民族でもなく欲望や希望でもありません

こうした何にもとらわれない存在を『私』といい、とらわれがなくなるにつれ
私=真理という認識が深まり
自分の命と宇宙と地球上の全生命との同一性を認識します

そして、私と世界の関係を正しく認識します


※ヴァーガヴァタプラーナとはヴァーガヴァタ派(ヴィシュヌ神=ナーラーヤナ)を信奉する学派に伝わる哲学的意味を持った神話のこと


ナラは恐らく 日本の奈良の語源ですね。五十音を始め インドのサンスクリット語は 世界中にある言語の母親です

弁才天= サラスバティ女神は 三大神のひとつブラフマー神の妻です
サラスバティの弁才とは 智恵の象徴です

話す言葉をみれば その方の知性 理性 知識がわかるといわれます

以上
インドでは、知識サラスバティと叡知ガンガーの違いを 河の名前で分けて わかりやすく といています
サラスバティのパワーは勉学によって
ガンガーの叡知は瞑想によって得られます
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by veda-anand | 2008-03-24 08:24 | 癒しへの導き

紋様とか

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まぁ 以前から好きですが

最近、紋様の本は 眺めていて実に面白く
あきることがありません

ここから 受け取るのは 形のエネルギー
伝えられてきた時間のエネルギー
意味のエネルギー…etc



数え切れないエネルギーの種類があるだろう

それは 受け取る私の意識のキャパシティで
受け取れるエネルギーや
共鳴し 響きあい
生み出されるものは変わるね

面白いなぁ

エネルギー

ただ美しさに見とれるだけでなく

そこにある物語や哲学など真理を探すのはさらに面白いです~☆

今日は
不動明王のメッセージと出会った
不思議な日でした☆








(ううむ…火付けかぁ…笑☆ 独り事なりぃ~)
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by veda-anand | 2008-02-27 21:22 | 癒しへの導き

仏陀

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せいらん寺の仏陀たち
久々に石彫をしたくなります
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by veda-anand | 2008-02-18 21:41 | 癒しへの導き

高性能低燃費型新人類?

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今 世界は地球温暖化で話題は持ちきり CO2削減に政府も経済界も科学者も そして建築家も真剣です

しかし一番 真剣になるべきは自分自身の愛の性能=EQ知能をあげ
宇宙一杯に降り注ぐクリーンエネルギーを駆使できる
低燃費型新人類になるべきなんでしょうね

ある宇宙飛行士がいった
『ガイア地球は宇宙船からみると輝きに満ち溢れまぶしくて目がくらむ
国境もない
なんの境界線もない愛おしい
私は民族主義を超えひたすら守りたい気持ちがわいてきた』


それをきいて
人類、私たち一人ひとりは 本来輝きに満ちた存在なのだと深く知った

物質から見えない光まで
全ての領域において本来ボーダーはなく異なる波動、エネルギーの違いがあるというのが本当のところだ

民族主義や国や文化、宗教
その他の違いとは 見えない領域から届けられた
透明な光りのプリズムから生まれた
美しい歌なんだな


人間の脳に眠るクリーンエネルギーの発動体は
脳下垂体であり
扉は前頭葉にある第三の目
そこが活性化し
人間の知能を最大限に引き出す

インドは古代からそれに長じてきた

そしてそれを支えるのはエタノールならぬ菜食、
ベジタリアンの生き方である

人間は
本当に光と神の歌と空気と水
そんなエコエネルギーで生きられるのだ

近頃の車も家もエコエネルギーで動くがそれらは人間の機能の一部を外部に現したもの

人間は本来 さらに高性能仕様でできている
アルコールや肉魚の食事は重たいエネルギーでヴェーダウパニシャッドでは
タマスエネルギーといわれ
精神性のエネルギー=サットバとは
波動がことなります

人間を人間たらしめるのは
実に瞑想によるクリーンエネルギー摂取以外 にはない


今こそ瞑想を!


けれど
確かな瞑想をする方から習わないとならないですね☆

判断の基準は
ベジタリアン
チャリティー
神通力を使わない
権威的でない人
あらゆる宗教に固執しない
批判的ではない
一般的な社会活動をしている

最低限このような活動をしている方から瞑想指導して頂けたら幸いなことですね☆

私には幸いに
そんな先生=グル=闇を払う人
がいます


とは現在の人類の愛が機能しない知能レベル

仏教でいう無明のことですね☆
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by veda-anand | 2008-02-09 09:15 | 癒しへの導き