真のサニヤースァ… サニヤシンとは

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現世的な欲望を全てすて 燃やした人
無執着な人

これがまず 真のサニヤースァ
日本語的発音ならサニヤシンのの定義です

かけらでも期待ある人
それはサニヤシンとはいいません


赤みを帯びた美しい彼のオレンジの衣
あれは 常に湧き上がる欲望を燃やすための修行への熱意=タパスの象徴であり、
肉体次元の自分の葬式をすでにすませたことを意味する

彼は のちに 二度と火を使わない
料理もしない
火を使う祭祀をする者もサニヤシンではない
何故なら祭祀には必ず祈願があるからです

そして
彼が死んだら 遺体は土に埋められるか ガンジス川に流すのだ

もうすでに葬式をすませた彼の遺体は
火葬する必要がない


サニヤシンを名乗る人は 世界中にいるが その意味するところまで 伝えられてない場合が 殆どでしょう


私も かつて あるグルのもとで
自分をサニヤシンだと 思いこんでいたことがあります

瞑想を始めたての、何十年も前のことです

しかし 今 それは違っていたと
ようやくわかります

サニヤシンに対する認識不足は
瞑想による体験に真理のセオリーがないのと同じだ
グルは選ばないと今回悟れない

セオリーなく、悟りの明確な認識にいたるのは非常に…難しい
改めて 真理のセオリーを学ぶ重要性を思う

サニヤシンは悟りへの道の途上にありますが
五戒は最低限のマニュアルとして守っています
巷のサドウ?と違って、勿論、煙りや薬、は禁止


それらを用いて
一瞬 ニルヴァーナ=涅槃=欲望のない境地を垣間見ても………再び 閉じてしまう…観たつもりでも、それは自分のマインドの中の妄想に過ぎない
万が一、ビジョンが本物であってもセオリーがないと日常にフィードバックできないのです

そして
酒タバコ薬以外でも、感覚を喜ばすことに『執着する』のは悟りに向かおうとするクリアーな意識にとって邪魔な存在なのは、いうまでもありません


『今ここ』で五感を楽しませるのに『執着する』のは
肉体次元に意識が縛られたタマシックな人々

『今』に立脚したサトビィックな人々は肉体次元の喜びには執着しない!

しかし人々はセオリーがないと
一見見分けがつかない
大抵は『今ここ』というグルの言葉に騙されてしまう…
騙すグル本人さえ
自分の感覚にまどわされている場合がある…

そして!
物を出したりするような魔術のような力を使うグルは
物質に依存した感覚を使っている
彼は物質に依存したら悟りに至らないというセオリーを
弟子に教えていないのだろう

聖者から発する最高の光とは
あえて色といえば白である

それ以外の色彩は、プリズムを通ってでる、物質界に依存した色彩だ…


悟りとは決して
物質に依存したレベルに執着していては到達できない


私のグル
スプリームマスターチンハイ曰わく
『悟りとは簡単です。しかし それを維持するのが難しい
だから
ベジタリアン
五戒
瞑想は 必要です』

それから
『インドは世界の霊性のダイヤモンドの宝庫である
インド人は世界中の民族の中で最も高貴な存在です』
と話されましたね

インド人、彼らの80%がベジタリアン♪であり
真理のセオリー、ヴェーダ哲学を守ってきたからですね☆




サニヤシンとは
自分を楽しませる
という欲望さえ捨てた人のことです
無論
叶えたいわずかな願望さえない人です


唯一の願望
悟り
を除いて…☆
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by veda-anand | 2008-05-11 09:01 | 癒しへの導き
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